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ゴッホは不幸が服を着ていたような人だったなんて

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 人の感性、美意識は人生の悲しみを知り、苦悩を経て、変化するようです。

 私は、若い頃からずっと、童謡の「砂山」のうち、明るいほう、中山晋平作曲のものは好きだったのですが、暗いほう、山田耕筰作曲のものは、むしろ生理的に嫌いなほどでした。ところが齢60半ばになって、歌をやるようになった時、キーボードを弾きながら、暗いほうの「砂山」を歌ってみたら、トテモ心にしみる歌だった。
 一人の人間の感性、美意識は、終生おなじなのではなく、人生経験を経ていくうちに変わるものだと知りました。

 ゴッホの絵についても、私、若い頃は、当時の画商が、ゴッホの絵について言った言葉、「あれは、アタマのオカシイ人が描いた絵だ」に同感でしたが、
 今ちょっと、ネットで見てみると、そうでもないみたい。南仏アルルで描いた「夜のカフェテラス」なんかは、なかなかいいみたいだよ。私の美意識が変わっている。

 もっともこれ、私の友人、A君によると、絵は実物を見ないとお話にならないそうなので、
 あれだけ若い頃はつまらないと思っていたゴッホの絵の実物を、機会があったら一度みてみたいと思うまでになっている。

 それでも私は、絵については、あまり理解がない方で、これまでに美術館なんかに行ったことは、
 そう、むかし女房とドライブに行った時に、信州の「白樺美術館」によったことがある。ちょうど、ルオーとルノアールの絵が展示されていて、実物を見たのですが、

 ルオーのよさは、すぐ解った。勿論、ルノアールが素晴らしいことは言うまでもない。
 あんな、真っ黒く、乱暴に塗りたくったルオーの絵でも実物を見れば、なかなかいいことが解る。

 そう、私は、感性はいいんだ。ただ、人生まだ戦っている最中なので、ケツに火がついた状態、これではジックリ絵なんかを鑑賞する気になれない。

 というわけで、ゴッホの絵の実物も見ないでゴッホを語ることは、ちょっとおこがましいかとは思いますが、なに、美術評論をやろうと言うのではない。哲学を語るのだ。哲学なら、とりあえず、一応のものを語れなくもないだろう。

 ゴッホも生前は、たったの一枚しか、絵が売れなかった人なのですが、
 更に彼は、ゴーギャンといさかいをして、自分の耳を切ったり、精神病院に入ったり、最後は、37歳で猟銃で自殺。女関係は、わずかに、性病にかかっている娼婦と短い期間、同棲したぐらい。

 でも、彼に関する記事を読んで、私は、彼が不幸な一生を送ったなんて、ちっとも感じなかったよ。

 何といっても、ゴッホは弟テオとの間の深い愛、敬愛、尊敬の関係が光っている。

 ゴッホの天分はテオによって認められ、27歳の時に画家一本の生活を始めてからは、テオの仕送りで生活できた。

 毎日、好きな絵を描いて暮らせるんだもの。まず、それ自体が幸せだったでしょう。

 ゴッホは孤独でなかった。何と幸せなことでしょう。互いに深く愛し、敬愛し、自分の絵の素晴らしさが解ってくれる人がいたのだ。これぐらい幸せなことがあるでしょうか。
 ゴッホの絵の素晴らしさを解ってくれた人は、他にもいて、テオの奥さんヨーとかロートレックとかがいる。

 そして、ゴッホ自身、自分の絵を、非常に素晴らしいと感じていたようで、そのことが、弟に当てた手紙に記されている。

 自分が全く素晴らしいと思える絵を描いている・・・この思いがあったことも、ゴッホの幸せの一要因ですね。

 もっともこれで、つまり世間に広く認められないでですね、ゴッホが、髄的喜びを得、人生に髄的満足を得たか、については、
 ゴッホが、どういう感じ方をする人だったかによる。
 
 この点については、人それぞれ感じ方が違うのですが、

 「歴史的事実とか、人の内面とかのように、事実がイマイチ、はっきりしないものについては、私の哲学によって、解釈すべき」
 だと思います。

 私の哲学の根拠については、既にたくさん書いてきた。

   私の哲学はもう揺るがない。

 ゴッホは、あれで髄的満足を得たのだ。ゴッホは、自分の生存中に、自分の絵が世間に広く認められなくても、人生に髄的満足できた人だった。ゴッホは、そういう人だった。

 私なんかの例では、この哲学をすること自体に深い感動を覚える点については、ゴッホと同じでも、これだけで満足できる人間ではない。どうしても人類史の上にさん然と輝かないと。
 人それぞれの欲求水準如何が、その人がその状態に満足しているかどうかに、決定的影響を及ぼす。
 私の場合は欲求水準、つまり、夢、希望ですね、これが天文学的に大きいから、一人や二人に認められるだけでは、イマイチ面白くないのです。

 私は実際そうなるべきパターンにあるみたい。私にはテオもいないし、ヨーもいないし、ロートレックもいない。孤独である。毎日が苦痛、不満、鬱屈した日々。
 しかも私はもう70歳になっているのに、未だにこれだ。

 そうだ、ゴッホについては、絵単独が素晴らしいのではなく、弟やその奥さんとの間に交わされた手紙、700通が全く感動的で、

 そう、この書簡集と、ゴッホの絵とが一体となったものが、
 その全体がですね。それこそ世界の宝ともいえるぐらいの素晴らしい価値を持つのじゃないでしょうか。

 手紙はホントに感動的ですよ。絵と一体となって、これぐらい感動を覚えるものも他に・・・

 退屈しておられる方は、もう一度、ゴッホの絵と書簡集に触れて見られることを、お奨めします。

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